空に浮かぶ白は遠く、遠くにあるからこそ焦がれる。
では、遠くにあるものには何でも焦がれるのかと言えば、そんな事もないのだから、自然、私が好きなものも理解できるというものだ。
幼い頃から、空を眺めるのは好きだった。
時計なんか見なくとも、空を流れる雲を見ていれば、時間が経過していることを実感できる。
それに、時計の針が示す動きのパターンは掛け算で算出できてしまうけど、空模様に計算は当てはまらない。無理やり当てはめようとして精々、降水確率くらい。
そうした、規則正しくはないけど、押し付けがましくもないところが、わたしは好きだ。
今日か明日は雨か。と、ぼんやり考える。
空には羊雲が浮かんでいる。秋晴れの涼やかな日だ。クラスの中でもワイシャツの上にカーディガンを羽織る男子が多いし、ブレザーを着ている子だっている。
かくいう私だって、カーディガンを羽織り、誰の目からも自分を隠すかの様に、机にうつ伏せでいる。
今日は誰かと話したい気分ではなかった。
発端はちょっとした事だ。ただ、寝起きが良くなかっただけ。
低気圧が近づいている様で、僅かな頭痛と共に目覚め、階段の最後の1段を降りたところで体がふらつき、壁に頭をぶつけた。
些細な頭痛は強めの鈍痛となって、わたしの眠気を不快に覚醒させた。
その不快さは頭痛と合わせて継続し、そこからじわりと漏れ出したわたしの表情は、母の何かを刺激してしまったらしい。
ヒステリックな声をBGMに朝食を終え、学校に着いてから宿題を家に忘れた事に気づいた。
この出来事の連続に私は我慢ならなかったが、そんな態度のわたしに先生も我慢できなかったらしく、貴重な授業の最初10分間はクラスへのお説教に変化した。
たぶん、みんな疲れているのだ。誰かにではなく、その事実に共感する事でしか、わたしの中のモヤモヤを晴らす事はできなかった。いや、晴らし切れてさえいない。
「香利奈、大丈夫?」
「大丈夫じゃない。とっても」
「面白い動画見つけたけど、見る?」
「どんなの?」
「それ、先に聞いちゃったら面白さがなくなっちゃわない?」
確かに、と思いつつ顔を上げる。
いつの間にか、黒い目を丸くして、キョトンとした表情の安澄が目の前にいた。きっと、今のわたしと会話を成立させられる、ただ一人の人間だ。
「じゃあ見る」
「じゃあ見せるね」
安澄がクリーム色のケースを被せたスマホをこちらに差し出してくる。動画の再生ボタンがタップされ、再生が始まった。
動画に出演している男子は3人。一目でこの学校の生徒だとわかった。着ている制服がこの学校指定のものだし、撮影場所も見覚えがある体育館だった。
「これ、大丈夫?動画サイトとかに上がってる?」
「ううん。タイムラインで流れてきたの」
なら、身内向けに撮影したものをSNSにアップロードしているのだろう。今時は炎上なども怖いし、巻き込まれたくはない。
ただでさえ、この動画は面白い、という評価を安澄から得られているのだ。バカな真似をしていないと良いけど。
『君たち程度の実力で僕に挑もうなんて、考えが浅はかなんだよね!』
うっ。最初に耳に入ったのは、演技慣れしていない素人が演じている様な声だった。
映っているのは、左側に坊主の男子と眼鏡の男子と、右側にそのどちらでもない男子で、向かい合った全員が全員、学校指定のジャージを着ている。
第一声を投じていたのは、右側に立っている坊主でも眼鏡でもない男子だった。
『くっそー!俺たちはまだ、負けてねえ!』
左側にいた坊主の男子が、棒読み感のある叫び声を上げて右側へ向かって走り出した。右側にいる男子を殴るのかと思ったら、暗転を挟んで画面が切り替わる。
新たに表示された画面では、右側に厚いマットが敷かれ、その手前には横向きに設置された棒とそれを支えるポールがあった。
左から走ってきた坊主の男子は背面跳びで、その棒を飛び越えた。疑いようもなく走り高跳びだ。
マットに着地した男子は立ち上がり、『よし!』という声を上げてガッツポーズを作る。
『どうだ!まだまだやれるぞ!』
そして挑発的に、こちらに、いや、カメラに対して人差し指を向けると、クイクイと指先を屈伸させる。
再度短い暗転を挟み、カメラの視点が眼鏡の男子と、もう一人の男子に戻る。次は悪役視点なのか、映し方が変わっており、悪役の男子の背中と、眼鏡を掛けた男子の正面からの姿が映っている。
2人に焦点を合わせたにしては、左側の余白が大きくてバランスが悪い様に感じた。
『やれやれ。身の程を弁えない奴らだ』
『僕たちは、負けない!』
眼鏡の男子は握り込んだ左手を左胸の前に、右手は身体の横に、こちらも何かを握るようにした状態で決意を露わにした。手の甲がカメラの方、こちらを向いている。
『はっはっは。何度でも打ち砕いてやろう!』
坊主でも眼鏡でもない男子が慣れていない台詞の読み上げを行うと、画面は暗転。『私たちの戦いは、まだ終わらない』と白い文字のテロップが表示されて、動画は再生を終えた。
「……面白い?」
終わって最初に思った事がそれだった。
「ええ?面白いよお。ほら、桜庭くんがこんな事するなんて意外じゃない?」
「桜庭くんって?」
「悪役やってる男子だよ」
安澄の話振りから、恐らくこれは身内、知り合いに向けて作られた動画なのだろうと判断しつつ、もう一度再生を繰り返す。
一度見て面白いと思わなかったものは、二度見ても面白いとはならなかった。この動画は何らかの芸術作品という事もなさそうだ。
代わりに、いくつか気づいた事はあったけど。
「安澄的には何が面白かったの?」
「んーと、桜庭くんがこんなふざけた事してるから?だって、テストでも毎回良い点取ってるし、陸上の個人の部では表彰もされてる人だよ?」
「近づきにくい人って事ね」
「そうそう!例えるなら、総理大臣が缶蹴りしてるみたいな感じ!」
安澄の例えはイマイチだと思ったけど、言いたい事は殿上人が庶民的な事をした、といった事だろう。
「もしかして、僕の話をしてた?」
「あ、桜庭くん!」
と、そこへ件の桜庭くんがやってきた。
今は制服でジャージは着ていないけど、動画とそっくりな顔をしていて、流し目の表情が整っている。
「あなた、クラスが違うと思うけど、わざわざ違うクラスにまで自分の評判を聞きにきたの?」
「ちょっ、香利奈!」
桜庭くんはわたしの質問に目を丸くしたものの、口元に微笑を浮かべて答えた。
「いや、偶々だ。陸上部の共有事項があったから、このクラスの子に伝えに来ただけだよ」
「桜庭くん、優しいんだねー」
安澄の褒め言葉を聞いた桜庭くんは、少し困ったように見えた。なんとなく、彼の人柄は掴めたような気がする。
ぶつけたい質問が一つ出来たけど、その前にもう少しだけ確証が欲しかった。
「部内のSNSはないの?ウチの学校、休み時間中の使用は禁止していないでしょう?」
「ああいや、グループチャットはあるよ。……ただ、念の為にね」
それが本当であれば相応しくない、少し言葉を濁らせる様子に、違和感を覚えた。
確証は得られていないものの、大事にはならないだろうと考えて、訊ねてみる事にした。
「あの動画も、出てきたのは全員陸上部?」
「え、ああ、そうだよ。先輩から、来年の部員獲得に向けて親しみやすい雰囲気を出せって指示されて──」
「4人とも?」
桜庭くんの声を遮るようにして、わたしは質問を重ねた。その瞬間、桜庭くんの表情が凍った様に見えた。
安澄はその様子に気づかなかったみたいで、わずかに首を捻ってわたしに訊ねる。
「え?4人?3人しか出てなかったよ?あ、撮影した人のこと?」
「そう。撮影した人の事よ。そして、消されている人」
「消されてる?」
安澄がわたしの言葉足らずに理解できない様子でいると、何か意を決した様な目つきに変わった桜庭くんから言葉が差し出される。
「香利奈さん、だっけ。ちょっと2人で話がしたいんだけど、良いかな」
「わたしは構わないけど、あまり長くないと助かるわ」
「大丈夫。すぐに終わるよ。安澄さん、だよね。2人きりで話すって状況だけ噂になると困るから、他言無用で頼むよ」
安澄の目線はわたしと桜庭くんの間を何度か忙しなく行ったり来たりした。
「よくわからないけど、香利奈はそれで大丈夫そう?」
「彼と同じ意見だから、ひとまずはそうしてくれると助かる」
「じゃあ、そうする!他の子と話してくるね!」
納得した安澄を見送ってから、桜庭くんが口を開いた。
「まずは、どこまで気付いたのかなってところを聞きたいな」
「桜庭くんから話してくれるわけじゃないの?4人とも陸上部かって質問に、答えてくれていないわ」
「……念の為だよ。答えは4人とも陸上部で合ってる」
「そう。じゃあ、思った通りみたいね。陸上部の先輩が指示したって話が本当なら、あなたは良い人という事なのかしら」
「恐らく君の考えている通りだと思う。けど、君があの動画を見て気付いたことを説明してもらっても良いかな。その為に2人で話したかったんだ」
桜庭くんはわたしの隣の席に腰を下ろすと、声を潜める。彼に合わせてわたしも声を落としつつ、あの動画を見て気づいた事を話す。
「まず、あの動画には3人の人物が映っていた。桜庭くんと、坊主の男子と眼鏡の男子の3人ね」
「坊主は国枝くん、眼鏡は梶田くんだよ」
「ありがとう。そこで、それぞれ短い台詞やテロップがあったわね」
わたしは言いつつ、動画を再生し、該当の箇所まで時間をずらす。いくつかの場面だけ抽出して桜庭くんにも見せた。
桜庭くんの『君たち程度の実力で僕に挑もうなんて、考えが浅はかなんだよね!』という場面。
坊主の国枝くんの『くっそー!俺たちはまだ、負けてねえ!』という場面。
眼鏡の梶田くんの『僕たちは、負けない!』という場面。
そして、最後にテロップの『私たちの戦いは、まだ終わらない』
こんな感じで、4つの部分を再生した。
「最初に気になったのはここだったわ。一人称、何も考えていなかったんじゃなくて、あえてなんでしょ?」
「何のことかな」
「桜庭くんと梶田くんは僕。国枝くんは俺。テロップは私。この私って誰なのかしら。まあ、拙い構成力によるミスだったと言うなら咎めはしないけど」
「言葉が痛いね。君は編集ミスだとは思わなかったわけだ」
桜庭くんは痛いところを突かれたような表情ではなく、むしろ嬉しそうな様子を見せていた。
「別にどうでも良かったんだけど、安澄が面白いって言うから、どこが面白いのかを探る為に、もう一度再生したの。だから色々と目に入っただけ」
そんなに長くもない動画だ。2回目の再生では、面白さはなかったものの、気づくことはあった。
「桜庭くんの背中が映っていたこのシーンなんだけど」
わたしはまた動画のシークバーをずらして、再生位置で止めた。桜庭くんの背中と、眼鏡の梶田くんが正面から映されている。
再生すると台詞が流れた。
『やれやれ。身の程を弁えない奴らだ』
『僕たちは、負けない!』
動画を止めると、動画より棒読み感が抑えられた桜庭くんの声がした。
「1人しか映っていないのに、奴らって言ってるのがおかしいとか?」
「そんな事は言わないわ。ここ。梶田くんだけど、何かを握っているのね」
左手が左胸の前で握られているのは意志を示すような演技として自然だと思う。だけど、何かを握るようにして、甲をカメラ側に向けた右手と、その隣、左側の不自然な余白。
「ただの握り拳に見えなくもないけど、左手に意識がいってるなら、自然に握った右手は、甲がこちらを向く事は無いと思うの。普通、手の平が体側、内側を向いて、甲は外側を向くはずよ」
「すごいね。よく気付いたと思う。僕としては、気付かれたら良いなくらいだったんだけど」
桜庭くんは音もなく拍手をする。わたしだって別に、気付きたくて気付いたわけではない。
今日は頭痛が酷かったから、頭を抑える機会があって違和感を覚えただけ。怪我の功名ならぬ頭痛の功名みたいなものだ。
「たぶん、眼鏡の梶田くんは、カメラマン役の4人目と手を繋いでる。この場面だけ坊主の国枝くんが撮影してるのね。その上でわざわざ、手を繋いだ4人目を編集で消してるんでしょう?バランスが悪い不自然な空白はそのせいだわ。手が込んでる」
「梶田くんが動画編集ソフトを持っていたから、実は苦戦はしてないよ。でも、どうしてそんな事をしたかまでわかってるのかい?」
「その4人目の為なんでしょう?わざわざ別のクラスまで来て、部活の連絡をしているんだもの。きっと、グループチャットからもハブられているんでしょうね」
動画を見終わった後、わたしと安澄の元に桜庭くんが訪れた。動画に仕込まれたものが彼のどのような意図によるものかを知りたくて、グループチャットを使わなかった理由を聞いた。
そもそもグループチャットがないという答えであれば或いはと思ったけど、彼は言葉を濁らせた。ならば、グループチャットはある。
だけど、彼はそれでも、わざわざ伝えに来たのだと言うのだから、悪い人ではないと考えた。
「よくぞそこまで。良かったら陸上部のマネージャーをやらないかい?」
「気が乗らないから断るわ。てっきり、ハブられているのはマネージャーかと思ったけど」
「いや、部員だよ。どうしてそう思ったんだい?」
「テロップが私、って言うのと、甲がこっちを向いてるからわかりにくいけど、梶田くんは恋人繋ぎをしているみたいだったから」
「ああ。それは、仕事人の考え通りに行ってくれてるね」
「仕事人?」
普段あまり聞くことのない単語に、わたしが首を傾げると、桜庭くんは邪気のない笑みを浮かべた。そして、先ほどまで落としていた声量を戻して続ける。
「同じクラスに、仕事人って呼ばれている男子がいてね。彼の考えを借りたんだ。今回の動画は、概ね彼の考えた構成さ。編集ミスや気のせいだと言い訳にできるよう、あからさまに手を繋ぐ事はせず、私という一人称を使ったんだ」
「へえ。わたしは初めて聞いたけど、そんな人がいるのね」
「対価を出せば色々やってくれるよ。興味があれば紹介する」
「今のところはないけど。……結局あなたは、何がしたかったの?」
「全部話すよ。君は知ってくれた方が良さそうだ」
桜庭くんは両手を組んだり離したりこねたりしてから、再び声量を落として話し出した。
「君が察している通り、ウチの陸上部には良くない風習がある。成績が良くない一年生に冷たく当たるんだ。それで結束を維持しようとしている」
「冷たく当たるという表現でいいの?イジメ、あるいは害を加えると書いて加害活動なんじゃない?」
「ははっ。課外活動じゃなくて加害活動か」
彼は笑っていない目で声だけで笑い声を示すと、鋭く目を細めた。
「言えてるよ、それ。いや、笑い事じゃない。本当に良くない事なんだ」
「被害者が部活を辞めれば解決する問題じゃないの?標的を変えるにしても、部員が全員いなくなれば困るでしょ?」
「辞めるのは簡単だと思うだろ?だけど実際、加害者達の外面だけは良いんだ。部活に行かなくなると、優しい先輩面をして心配し、大人たちや周りの生徒は騙される」
少し迂遠な言い方にいくつか想像はついたものの、気になる点もあったので確かめる事にした。
「具体的には?親まで騙されるの?」
「家に押し掛けたり、校内で声を掛けてくる。先生は騙されるし、親は親次第かな。で、最低1年は保たせる」
「嫌な傘を翳しているわね」
「振り翳していると言っても良いくらいだ」
親次第、という事は、今までに問題になった例もあるのか。ただ、わたしも知らないし、陸上部がこれまで活動を続けられている以上、大きな問題にはならなかったということでもある。
それか、問題になった生徒達が卒業したから解決したと見做されているのか。だとしたら、最初に桜庭くんが言った通り、良くない風習というのも納得できる。
「僕はこの流れを断ち切りたい。その第一歩として、反抗の意志を示したんだ。動画に4人目の存在を示唆し、その意味を考えさせる、という形でね。ただ、まだ気づく人間は多くない方が良かった。その要望を汲んだ仕事人の意見を取り入れて、あの動画は完成した」
「行動の前に意志を示す必要があったの?」
「大きな問題にする為の味方が必要だ。ただ問題を大きくするだけじゃ、陸上部の活動が停止になるかもしれない。だから、適切な加害者が適切に裁かれる下地を作りたいんだ」
確かに、小さな問題、被害を受けている当人の問題を解決するだけであれば、それはそこまで難しくはないだろう。
親次第とも言われていたけど、親に相談したり理解してくれる先生に相談すれば良い。幸い、被害を受けている生徒には、桜庭くんたち3人も味方している。
しかし、部活内の風習として残っているものを断ち切るという事であれば、再発しない環境を作る必要がある。その為に大きな問題にしないといけないというのは、確かにそうなのかもしれない。
「被害を受けている人をそのままにしてまで、部活が停止にならない方が大切なの?」
「最終目的は健全な部活動だ。彼を助ける事だけでは足りない」
「陸上部で個人表彰もされてるって聞いたけど、自分の為じゃなくて?」
彼は笑みを浮かべた。笑っているはずのその目には、何かを宿らせている様に見えた。
「僕にとっては、勉強も部活も、やったらやっただけ成果が返ってくるものだった。正直な話、手応えや達成感がなかったんだ」
「羨ましい話ね」
「そうかもね。でも、僕にとっては普通の話。目的に据えるまでもなく、生活のモチベーションが上がらなくてさ」
「それで、陸上部の問題を解決する事があなたのモチベーションになったって事かしら」
「それはもう、満ち足りているね」
彼の目は輝いている。その瞳に宿らせているのは、使命感だとか、正義感だとか、そういったものなのだろう。
「もちろん、彼も了承している。しばらくは耐えてくれるとね。苦しければ僕らが支えるし、心配は要らないよ」
「そう。なら、もう聞く事は……いえ、その生徒の名前、教えてもらっても良い」
「ああ、構わないよ」
そうして名前を聞いた生徒は、親しくないもののクラスメイトの名前であり、1ヶ月に何度かは学校を休んでいる生徒だった。
全て話し切って満足した様子の桜庭くんは、わたしの元から離れてそのクラスメイトの元へ向かった。部活の業務連絡と、もしかしたらわたしの事も話したのかもしれない。
休み時間の終わりも近く、桜庭くんが早々に立ち去っていくのを見計らって、わたしは初めてそのクラスメイトの席へ向かい、質問を投げ掛けた。
「ねえ。あなたは、今のままで良いの?」
クラスメイトの彼は、感情のない声で答えた。
「正直、どうでもいい」
わたしがその答えを聞いた翌月の事、彼の席は一月の間、ずっと空席だった。その更に翌月、親の転勤に伴い彼が転校するという事がクラス内に知らされた。
その情報は大きな動揺もなくクラスに受け入れられ、以来、彼の席はずっと空席になっている。
また、安澄から聞いた話によると、桜庭くんは陸上部を辞めたらしい。その後、部活に入らず、成績も落とし気味だと聞いたけど、それもまた、わたしにとってどうでもいい事だった。
輝いていた瞳が映すものを眩ませていたのか、あるいは瞳の内側が曇っていたのかは定かではない。
けれど、彼が何かを見落としてしまったのは確かで、あの動画は編集するまでもなく、そこに空白があったのかもしれない。
『この投稿を再生する事はできません』の文字を見て、わたしは画面を閉じた。
この短編は小説家になろうで最近連載を始めた作品、『或る高校生の地獄』の前日譚のようなものです。
本編では安澄が彼氏の投稿した匂わせ画像に疑いを持ち、追及を頼まれた香利奈が頑張ります。しかし何やら事情があるようで、香利奈の追及をこの短編でもチラッと出た、仕事人と呼ばれる生徒が頑張って回避します。
物語は誰のどんな地獄に辿り着くのか、もし興味を持っていただけましたらご一読ください。
まだ全然話数が進んでいないのですが。
と、色々と寄り道もしていますが制作中のノベルゲーム『東木西太と7つの後悔』のシナリオも、第一稿が間もなく完成見込みですので、そちらもご期待ください。 (天木)